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【砂澤ビッキ、音威子府と邂逅】
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阿寒、鎌倉、旭川そして札幌で過ごした砂澤ビッキは、どの時代においても
貧欲に「今」を吸収し続けた。
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だが、彫刻家として「自然との一体感」を持ち得たのは、終焉の地と
なった「音威子府」だったといわれている。その邂逅は1978年のこと。友人と3人展を開いた展示会で、
音威子府高校の狩野剛校長に移住を勧められたのが発端だった。音威子府に赴いたビッキは、移住を決意
する。のどかな風景がひろがる旧筬島小学校をアトリエに、豊かな木材から次々とダイナミックな作品を
発表していくビッキ。その姿は。まさしく自然と対峙する一人の男の生き様そのものであった。
【「TENTACLE」の森、筬島】
音威子府より国道40号線を北上すること約8km、右手に流れる天塩川を挟み、5戸11名が暮らす
小さな集落「筬島」があらわれる。アイヌ語で「オサシマンナイ(川尻のくだるところにある小沢の意味)」
を音訳したとされる筬島では、北海道大学研究林の急峻な山々を縫うように天塩川が流れる。この大いなる
自然が筬島の「顔」として、時には優しく美しく、時には激しく厳しい表情をみせる。
緑の山々に囲まれ野草が咲き乱れる春、こぼれ落ちるような星空のもとブッポソウの声を聞く夏。燃え立つような
紅葉に染まる秋と零下30度の激寒と大雪に覆われる冬。見事なまでにうつろいゆく四季の美しさに、この大地は
輝きを増していく。「見えるものだけを見る」のではなく「見よう」とする心に、筬島は私達が忘れかけている
何かを気づかせてくれる場所でもある。
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「本当のテンタクルに入り込んだ」
音威子府の大地を踏みしめたとき、男は叫んだ。
ここで、樹のこころを掴めると思った。
樹に跨り、鑿をふるった一人の彫刻家、砂澤ビッキ。
筬島の自然を愛した彼は、
この地で10年、数々の作品を遺しつつ1989年に没す。
だが、遺された作品とともに、
人間・砂澤ビッキは音威子府の顔として生き続けて来た。
そして2003年。
そんな男の息づかいが聞こえる思索の場
「アトリエ3モア」が甦った。
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